あれから6年
平成23年3月11日、東日本大震災。
あの日から6年が経ちました。僕は出身が岩手県なので、地元は東日本大震災の影響を直接受けました。盛岡の震度は5強。僕の実家にあるお皿はサイドボードからすべて落ち、本当にすべて壊れてしまいました。
岩手の3月はまだ雪が降り、朝晩は氷点下になる厳しい季節です。そのような時期に震災による停電が発生し、ストーブやエアコンを使えない時間がかなり続きました。
そして、沿岸では大きな津波が、僕にとっても思い出のある町を飲み込んでしまいました。
岩手で海釣りをする際、いつもお世話になっていた船宿の船長は、津波に飲み込まれ、亡くなりました。僕の父が以前勤務していた宮古市の沿岸地域は、壊滅的な被害を受け、多くの方々が亡くなりました。震災後に宮古市に訪れたところ、がれきなどは撤去され、ただただ広い空き地になっていました。
今も多くの方が沿岸部の復興作業に取り組まれています。しかし、決して流通がよい地域ではありませんし、一度今回のような天災に見舞われてしまった地域に、もう一度住もうという方、特に若い方がいないという話を、地元の友人から聞いています。
もしも僕があの日海釣りに行っていたら、もし父が宮古市で勤務していた時期に震災が起きたら、などと考えれば考えるほど恐ろしくなります。
震災の行方不明者はまだ1000人以上いらっしゃいます。
東日本大震災後も本当にたくさんの天災・人災・事件・事故が起きています。東日本大震災の被害者の方々も、その他の天災等の被害者の方々も、「まさかこんなことになるなんて・・・」というお気持ちなのだろうと思います。
東日本大震災のような未曾有の天災が、いつ来るかわかりません。関東大震災が、また来るという噂も絶えません。
自分にとって大切なことは何か、守りたいものは何か、なんのために働いているのかなどを常に考え行動していくべきと、この日を迎えるたびに心に刻んでいます。
最後に岩手日報が東日本大震災の日に引用していた詩の一説を引用させていただきます。
『あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら
わたしはもっとちゃんとカバーをかけて神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出ていくのを見るのが最後だとわかっていたら
わたしはあなたを抱きしめてキスをしてそしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで 今日ですべてが終わるのだとしたら
わたしは今日どんなにあなたを愛しているか伝えたい』
「最後だとわかっていたなら」(ノーマ=コーネット=マレック 佐川睦訳)